二人の自転車乗り


一人の自転車乗りの中には、二人の自転車乗りがいる。

自己を追求する自転車乗り

主にパフォーマンスを追求して、頑張って、頑張って、結果を出そうとする自転車乗り。

当然、大会に参加したりする競技志向の自転車乗りにとっては、とにかく自分の意識や向上心を最大化して、くじけそうになる脚を必死で回して、敗れそうになる心臓を必死に動かして、少しでも速く、少しでも高く。

自らを追い詰めて、自らを高めていく自転車乗り。

自然と同化する自転車乗り

自分の心地よいリズムで、自分のリラックスできるスピードで、周りの風景や、流れる風の空気の匂いを感じる自転車乗り。

一定のリズムの中で、徐々に自然に同化していって、大きな存在の中の、小さな存在に落ち着いていく。

周囲の自然と同調し、柔らかく流れるような自転車乗り。

同居する二人

この二人は、決して相容れないものではなくて、大抵の自転車乗りの中に二人ともいるのが普通。

このへんが自転車乗りの面白さだと思う。
もちろん、そのバランスは様々。

自己追求型の自転車乗りだって、一通り全力を出し切って、ゆっくりとクールダウンをする時に、自然と同化する感覚を味わってることはある。
それどころか、ライダーズ・ハイから落ち着いていく時の精神状態独特の、一種悟りにも似たような感覚を味わうときだってある。

自然同化型の自転車乗りだって、より長い時間自転車の上でゆったりした時間を過ごすために、ちょっとした坂を乗り越えたいと思うときだってあるし、もう少し頑張って、もう少し遠い場所の空気を吸ってみたいって思うときもある。

この2つのバランスが、自転車乗りの個性を作ってるじゃないかと思う。

みんなに知って貰いたい

今までの日本の自転車文化は、どうもそのあたりの認識が偏ってたと思う。

競技をするヒト、高いパフォーマンスを残すヒトは、競技者として称えられることはあっても、自転車乗りとして尊敬されることは少ないように思う。

ツーリングバイクで日本一周をするようなヒトも同様。

「凄いですね」とは言われても、「自分もやってみたい」と思われる存在ではなかった気がする。

もっと自転車は楽しいんだよ…って、みんなに知って貰いたい。

自分の中の二人の自転車乗りを仲良くさせられれば、きっと一生続けられるスポーツであり、ホビーであり、パッションであり、ライフだ。


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