新屋の町中ポタリングに参加してきました。
最近ご無沙汰してたBD-1を街乗り仕様にしての参加。
寒くて手袋はずすのが億劫だったので、当日の写真は無いです~
(たぶん、おがーりあのHPに近々掲載されるかと…)
やっぱ、ポタリングするんなら町中ですね。
寄り道できるトコがあちこちにないと、ポタリングは成立しません。
あと、その町に詳しい人は必須。
ただ走ってると面白い場所も、知らずに通過しちゃいますから。
男鹿半島だと、ジオパークのサイトめぐりとかならできるかもしれないですが、今のジオパークは対象年齢が高めなのでやや厳しいか…
自転車文化の幅広さ
自転車って、本来はすごく幅の広い趣味で、いろんな楽しみ方があるんですが、ここ数年のロードバイクや弱虫ペダルのブームもあって、フィジカル優先になってるのは確か。
ちょっとバランスが悪い。
もっと速く、もっと高く、っていう限界までパフォーマンスを追い込んでいくのも物凄く楽しいんですが、それだけだと学校の部活と一緒で、本当の醍醐味にまでたどり着ける人数が限られます。
もちろん、マンパワーありきの道具ですから、何の運動もしていない人が満喫できるかっていうとそうではないんですが、
本気で苦しい練習しないと楽しめない…ってほど、尖った道具でもない。
要は、どのぐらい「自転車」という道具に時間を費やしてるかが大事。
それなりに「自転車」に時間を費やしていれば、必要な体力はすぐ付きますし。
町中をポタリングして過ごす3時間と、ヒルクライムの練習に費やす3時間で、趣味としての濃密度に違いがあるわけじゃないです。
それぞれに向いたスタイルで、自転車と過ごす3時間は、楽しくて大切な時間という意味では同じ。
海岸線を写真を撮りながら移動する3時間、自転車のメンテナンスをして過ごす3時間、天気の悪い日に自転車雑誌を眺めてる3時間、ネット通販で自転車パーツやアクセサリーを漁ってる3時間。
どれも、これも、同じだけ趣味を満喫してる時間には変わりない。
こーゆーのが総て合わさって「自転車」という文化を形成してる。
速い人、体力のある人が偉いっていう競技スポーツは、多様な自転車文化の中のほんの一面に過ぎないってコトは間違いない。
どれか一面だけしか知らないのはもったいない話。
ロードバイクブームは間もなく終わる
遠くない未来に今のロードバイクブームは終わる。
ブームに乗ってロードバイクを購入した層の中で、ロードバイクと相性の良かった人は続けて自転車文化に携わるだろうけど、多くの人が自転車からは離れるというのは間違いない。
ブームってのはそうゆうものだし。
今でこそ「ロードバイク」なんて呼ぶけど、あれは本質的には「ロードレーサー」であって、少しでも速く走るためのモノであって、それ以外の部分での流用性はかなり低い乗り物。
日常生活で使うなら、クロスバイク…いやママチャリの方がはるかに便利。
その意味ではフィジカル優先な世界と、うまく折り合いが付けれなかった人が、自転車文化から離れるというのは誠にもって残念な話ではあるが、今回はロードバイクのブームだった以上は仕方がない。
ほんとなら、もっと皆に向いた自転車がある。
もっともっと、幅のある、懐の広い世界なのに、そのほんの一面にしか触れる機会が無かったとすれば勿体ない話。
クロスバイクでも、ミニベロでも、ランドナーでも、マウンテンでも、ファットバイクでも、クラシカルでも、もっと自分に向いた自転車に触れる機会が持てたなら…ね。